私と彼女の世界。脳の不思議。

昨日。夏が真っ盛りの日。百日紅が咲いている。私はその軽やかな雰囲気を改めて美しいと思っていた。一緒に歩いていた友人に百日紅が好きだと伝えると、「そうだね」とさえない返事が返ってきた。花に対する興味が薄いのかと思ったがそうではなかった。

彼女が百日紅を見てある種の憂いを感じるのには別の理由があった。

1年前まで交際していた男性。その時はすでに彼との別れが近付いていることを感じていた。最後に話した場所は公園だったらしい。会話の間、彼女の横目に終始存在していたのが、隅に佇んでいた鮮やかなピンク色の百日紅の木だったという。彼女が百日紅を見るたびに思い出すのは、その時の心寂しい気持ちなのである。

私はこんなエピソードを聞いて、数十秒間、閉口してしまった。

一本の百日紅、それも同じ場所で、同じ時間に見たときの世界がこんなにも違うなんて。その事実が強烈に感じられた。

私にとって美しい花が、彼女にとっては苦くて心寂しい気持ちを思い出させるモチーフになっている。

私たちが目にするものは、その人の経験や今まで受けてきた教育、その時の心の状態によっていくらでも変形され、解釈されるのだ。しかもそれらは意識的に起きているのではない。私たちの脳は、自分がそうしていると意識させることなく、視覚から得たデータを変形させる。

この事実を経験的に体験したことで、こう思った。

もし、この脳の勝手な編集機能を知覚することで、和らげることができたら、私はいろいろな出来事や物事をもっと真っすぐと見ることができるのではないか。これからは、そんなことを考えながらあらゆるものを見て、隣にいる友人の世界を想像していきたい。